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  ヒストリー(開発経緯)

開発経緯

『何とかならないか、を何とかする会社』として40年働き続けてきた『エンジニアリングシステム株式会社』のオーナーだった社長柳澤源内が、自身最大の夢、「空を自由に飛びたい」を何とか実現させようと、1980年代半ばに空飛ぶ道具の開発を思い立ちました。そして夢は現実となり、一人乗りヘリコプターGEN H-4が完成しました。それでは開発の契機から夢が実現する2000年迄のゲン・コーポレーションの歩みを、空中散歩で見てみましょう。

1985年 開発の契機


GEN H4のエンジン

70年代、社長柳澤源内は、モーターサイクル、特にエンジンの開発設計者としてスタート、その後、超小型エンジンを多数世に送り出した後に、エンジニアシリング・システム株式会社を設立、幾多の会社の自動化と開発品の製造を手伝う。21世紀までにあと15年のこの年を契機に、21世紀までに超軽量小型高性能エンジンを製作、空へ挑戦することを決意する。最初はエンジンから。世界一軽くパワーの出るエンジン、一人を空に持ち上げることのできるエンジンから作ろうと試みる。

1988年 エンジンの開発と機体の工夫


GEN125強制空冷エンジン

最初は、紙切れに書いた走り書きだった。最も困難な型とも知らず、二重反転の型のカッコ良さをイメージし、小型と安全を求めて同軸の二重反転型を選んだ。 確かに推力を全て揚力に変えるために羽根もコンパクトにできることは分かった。 決意から3年後の年末、軽くて小型、しかしパワフルな「GEN125エンジン」開発成功。
その後、同軸二重反転のフライング・ソーサー型の荷物運搬を開発。
固定ピッチ型ローターヘリの操作方法の一つであるローター全体を傾けるテストを開始。

1991年 エンジンの力試し

水平対向型、2サイクル125cc、10馬力、3.5kg、思い通りの超小型軽量エンジンができた。プロペラをつけて背中を押すようにして、自転車に乗ってみた。時速100kmも出た。 翌年1992年には、ハングライダーに積んで空を飛んでみた。空も飛べた。

1995年 H-1浮上に成功


初飛行 1995.12.10

空を散歩するには、空中で止まりたい。夢は膨らみ続けた。 一号機は30馬力、直径3mの二重反転ローターを傾斜させるように工夫して、ヘリ免許を有する友人の試乗により、自社の敷地内で浮上に成功した。その場安定性も割合に良好、アクセルコントロールだけで上下移動はできた。
GEN-H4は最も単純で安全でメンテナンスゼロを目指してローターは固定ピッチを採用している。これは、世界中のヘリコプター技術者が追い求めているが、今もって実現できないでいる方式である。

1996年 動力ユニット基本形決定

上下移動はできるが、どうやって前進、後退、ヘリコプターを意のままに操縦するか。羽の回転面を傾けた方向に進むはず、ジャイロコプターのような操作方法がある筈だ。エンジンごと傾けてしまえ・・・この考えにたどりつくのに、かなりの時間を要した。ハングライダーは125ccエンジン一基で空に浮くのに。ヘリコプターは3ユニットの直列エンジンでも力不足だった。
96年始めよりヨー・コントロールのための差動トランスミッションを開発、同時にパワーアップのためにエンジンを3ユニットから4ユニットとしてパワープラントを整え、パイロットの頭上に置くことにより振動の発生をなくすことにも成功した。

1997年 ヨー・コントロール解決

アメリカ・オシコシへの旅行途中、電動モーターを使う方法を決意するとともに、ジャイロからの信号により、ヘディングを一定に保つ方法も同時に決めた。

1998年 アメリカでデモ飛行成功


オシコシ・エアベンチャーの写真

オシコシ・エアベンチャーのウルトラライト用飛行場にて初飛行を行い、千人を超える観客の前で、デビュー、8分程度のホバリング、ヨー・コントロールの効き等を披露し大いに注目を集めた。新しいものへの挑戦に喝采を惜しまない米国人の姿勢に大いに感激した。

1999年 オシコシでの飛行

2000年 カッパーステート(アメリカ)エアショー出展、飛行

2001年/2002年 サンファン(アメリカ)エアショー出展、飛行

2002年 ヘリジャパン宇都宮で日本公式披露 

もっと詳しい開発経緯はこちらをご覧ください(PDF)

 
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